名古屋生まれの奇僧 絵筆で人を救う~♪
特別展「画僧 月僊」名古屋市博物館(1月27日まで)に行って来ました。
この展覧会で、江戸時代中期、画才を生かして社会福祉に尽くした僧侶がいたことを初めて知りました。しかも名古屋生まれだなんて。
その名は三重県伊勢市・寂照寺住職「月僊」(1741-1809)です。
月僊は名古屋の味噌商の家に生まれました。7歳で仏門に入り浄土宗の僧になり、江戸の増上寺で修行。その傍ら桜井雪館(せっかん、1715-90)に絵を学びました。のちに上洛し、京都で一番の人気絵師であった円山応挙(1735-95)から写生の影響を受けながら独自のユニークな画風を生み出しました。
安永3年(1774)34歳で知恩院大僧正に三重県伊勢山田にある寂照寺の再建を命じられ、住職になりました。
驚いたことには月僊は「お金に汚い和尚さま」と思われていたことです。
と言うのは、月僊は作画の代金を必ず請求したり、絵を描く前に「いくらの絵を描きましょうか」とたずねたりしたのです。
実はそのお金はお寺の復興や川の架橋、貧民救済に尽力など、様々な社会福祉事業に使ったのです。
それ故、僧侶として信仰と弱者救済に生きた月僊の絵は優しい眼差しにあふれています。
月僊の絵が全国に広まったのはお伊勢参りのお土産に月僊の扇子絵が売れたからだそう。
風景や花鳥、動物など何でも器用に描いた月僊の絵の中から、特にお人柄が偲ばれる作品をご紹介したいと思います。
★「月僊顔」と呼ばれるユーモアある個性的な人物画
《朱衣(しゅえ)達磨図》部分 個人蔵
真正面をじっと睨む迫力ある達磨像。
大きな鼻やへの字にまがった口はユーモラス。
でもよく見ると目頭の充血など目の描き方はじっくり丁寧。
この時代、最も人気のあった写生の神様「円山応挙」の影響を受けたそうです。
★愛嬌のあるユニークな神様や仙人など、漫画のように描いています。
《恵比寿図》三重県立美術館蔵
離れた両目でにたりと笑う顔は一度見たら忘れられない!インパクト大。
でもやっぱりよ~く見ると腕の筋肉の付き方、小脇に抱えている鯛などはとてもリアル。
人体の構造や陰影表現は「円山応挙」の影響。
★《馬師皇図(ばしこうず)》個人蔵
龍の病気を治したと言われる伝説的な馬医・馬師皇(ばしこう)。
口をぽっかり開けて、医者にすべてをゆだねる愛らしい龍。
寂照寺の月僊の豊かな交流と温かなまなざし
★《百盲図巻》部分 寛政初期頃 京都知恩院所蔵
優れた画家でもあった伊勢長島藩主・増山雪斎の注文で制作。
目の不自由な人の行進を描いていますが、決して茶化しているのではありません。迷いながら生きている人々に仏の恩徳を説いた月僊の人柄がしのばれる作品なのです。(説明文より)
巻末では、盲目は天が与えた一つの特徴であり、何かが欠損している訳ではないと説いています。
これは盲人の姿を借りて無明の闇にさまよう信仰無き人間の実存を揶揄している作品です。